小松寺開基1300年WEB
 

1300年を振り返る

小松寺のこれまでとこれから

このページでは、これからの小松寺をみなさんで考えていくために、
小松寺のこれまでの歴史を振り返ります。

 
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1. 小松寺のおこり

文武天皇の時代(683-707)、役小角(えんのおずの)によって小さな庵が建てられました。その後その庵は、一間四面のお堂に建て替えられました。今から1300年前の養老二年(718)のことです。

これが小松寺の起源とされ、寺名は『巨松山檀特寺』と号されました。役行者の伝説が残されていることから、当初より山岳修験者の信仰を集める霊地であったと見られます。

 
 
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2. 慈覚大師による寺の隆盛と

一度目の火災

天長八年(831)には、第四代天台座主として知られる慈覚大師により堂塔が建てられ、山王権現が祀られたとされています。

しかしながら、平安時代前期、火災により本堂は全焼してしまいました。

 
 
 
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3. 大寺院としての盛衰と

二度目の火災

火災ののち、しばらくは廃墟となっていましたが、安房守であった小松民部正壽(こまつみんぶまさかず)により再建されました。延喜二〇年(920)のことです。寺名は『檀特山医王院巨松寺』と改められ、七堂伽藍*が整備されるなど、本格的な寺院として整備が進められたと言います。なお、この際に薬師如来がお祀りされはじめました。

*七堂伽藍(しちどうがらん):本堂・党・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊など、大きなお寺を構成する主要な建物。

 

その後は、年を経るごとに次第に衰えたとされますが、承安四年(1174)には中興第一世玄海により、再興されました。

 

時代が進むにつれ、里見義康からは五十三石六斗、徳川家康からは十二石七斗の寄進を受け、さらには広い山林と田畑をもつ修行道場となり、最盛期には二十四もの宿坊を有するほど、多くの僧が集う寺院となりました。

 

しかしながら、江戸末期の安政元年(1854)、またしても火災により全焼してしまいました。

 
 
 
 
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4. 復興から現在へ

二度の火災により、古文書等の記録はほとんど残っておらず、その後の再建時期は不明です。しかしながら、現在の本堂正面の向拝中央に掘られている龍の彫刻の銘には『安政二年丙辰十一月吉日  相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武』とあり、その頃に再建されたと考えられます。もしそうであるならば、火災からわずか二年で再建されたこととなります。

 

なお、「後藤忠蔵橘重武」は江戸にて修行を積んだ安房の三大名工の一人、「後藤義光」こと後藤利兵衛橘義光の弟子にあたる彫刻師です。

小松寺はこのような歴史をめぐり、本年平成30年で開山1300年となりました。

現在の住職は八十三代目の住職となります。

 

 
 
 
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